HOME 

WHAT'S

2008 No.104

明石海峡大橋のてっぺんに上がる

10月初めの明石海峡秋景色は、曇りがちの晴天の穏やかな日だった。実家があった地域でなじみのところだが、1998年この橋が完成し、風景がガラッとかわった。海岸は松林に、孫文ゆかりの移情閣という石づくりの洋館がぽつんとあるだけの、地味で静かな公園だった。
橋ができてJR舞子駅は快速が止まるようになり、駅前が再開発された。松林は切り倒されて芝生の人工的な公園と、アジュ−ル舞子という横文字の人工ビーチになった。コンクリートの岸壁が多く砂浜が少なかったので、海に親しめるようになったのは、良かったかもしれない。
二つの塔の間が約2km(全長約4km)という世界一の吊り橋、4月から11月までの期間で実施されている、橋の上まであがるツアー に参加した。神戸側の塔にあがり約300メートル上空からの眺めを満喫した。

上の写真:通常の車道の下である。メンテナンスの車がたまに通る。ここを1キロほど歩いて、塔まで行く。下はスティールのグレーチングで海が見えて、最初は足がすくむ。

左の写真:端ッこの通路。帰りにここを通ったので慣れてきて平気だったが、行きにここを通ると恐いかも。下の写真は、その足下である。ここはビルの9階位の高さ。

エレベーターで、99Fのボタンを押して、一気に上へ。塔は少し内側に向いているので、途中でエレベーターが、自動的に少しずれる。

左写真:エレベーターを降りて細い階段を上がり、ハッチのような天井のドアを開けて屋上に出る。塔は鋼鉄なので、船のような感じである。海面より289mの地点。

右写真:メインケーブルの一部、この上を歩いている写真があったが、きつい坂だしこれはビビルでしょう。ケーブルの向こうは、アジュール舞子ビーチと、垂水のアウトレットのポルトバザール。

左下写真:塔の先端である。斜になっているのがメインケーブル。ここから南北にきれいな放物線を描いて伸びている。当日は風が無かったが、風のある日は、結構風当たりが強いであろう。

右下写真:塔を支えている円形のコンクリートの土台の一部。水深60mの海底地盤に設置されている。カーブのところに見える脚立のようなものは、船が衝突した時にショックをやわらげる役割の、バンパーのようなもの。

左上写真が、舞子の街並み。 白い高層ビルが、舞子駅に隣接している。右側の白い建物が舞子ビラ。
右上写真が、淡路島方面。淡路側の塔が見える。 二本の塔の間が1.991mで、世界一の吊り橋。 ちなみに二番目は今年完成予定の中国の船山西候門(シーホーメン)大橋 1650m 。

橋の出来るまでをまでを[橋の科学館]の模型やパネルを見ながら説明を聞いたが、日本の 高度な技術に感心させられる。

■参加してみたい方は、
[橋の科学館] で予約申し込み 。
4/1〜11/30の木金土日と祝の午前と午後の2回
今年はもう予約いっぱいのようである。
参加費 2100円

おくりびと 2008 滝田洋二郎監督

納棺師という職業を初めて知った。映画が始まって直ぐ、納棺師が手際よく遺体の肌を見せる事無く体を拭いて、衣装を着せ変え、化粧をする儀式?。この一連の見事な手さばきを見せる事により、映像だけで直ぐに仕事の内容を観客に分らせる展開である。

主人公(本木雅弘)はオーケストラのチェロ奏者、ある日突然、楽団が解散となり、妻(広末涼子)を連れて故郷の山形・庄内へ帰る。そこには母が残してくれたカフェをしていた家がある。高給の「旅のお手伝い」というキャッチ・フレーズを見て面接に行く。仕事は旅行関係かと思いきや、社長(山崎努)は、「旅立ちのお手伝い」で印刷ミスだよなどと言い、履歴書も見ないで即決定。妻には冠婚葬祭の仕事としか言えず、新しい生活が始まる。

山形では、以前は遺族でしていたそうだが、次第に専門に行なう納棺師という仕事が発生したようである。女事務員(余喜美子)が言うには、葬儀屋からの依頼で行くそうで、隙間産業だそうだ。旅立つ人を浄めて送りだす、残る人の慈悲。これで少なからず、癒されるのであろう。

固定観念の無さそうな今どきの妻だが、夫の仕事となると偏見があり、とんでもない事を叫ぶ、しかし彼の真摯な仕事ぶりに、妻も友人も見方が変わって行く。そんな中に笑いをちりばめた、分かりやすい展開である。時おり、彼が子供の頃に弾いていたチェロを奏でる音にも心癒される。

亡くなる人は、老人ばかりではない。病気、事故などの若い人もいる。それぞれの家族にいろいろ事情があり人生を垣間見る。中には、身寄りの無い老人の、何週間も置き去りにされた異臭漂う孤独死の遺体の仕事もある。その後の、彼の行動、気持ちの変化がリアルである。偏見のある仕事ながらも、厳粛に真剣に立ち向かう男のすがすがしさを感じさせる。また、良く知られていない仕事を紹介する隙間映画でもある。

大阪は泉の広場、梅田ピカデリ−などで上映中。

 

連載48
The Rolling Stones
[Big Hits/High Tide And Green Grass]
1966年

ストーンズの最初のベスト盤。60年代はシングル盤で出た曲が、アルバムに入っていないことがよくあった。ストーンズの初期のシングル・ビッグヒット曲「Get Off My Cloud」「Paint It Black」「19th Nervous Breakdown」等やデビュー・シングル「Come On」も、アルバム「Out Of Our Heads」に入っていた「Satisfaction」もこのアルバムでまとめられた価値あるベスト盤である。2002年に「Forty Licks」という2枚組のベスト盤がでているが、その中には入っていない曲「Heart Of Stone」「Time Is On My Side」「Little Red Rooster」は、この最初のベスト盤には入っている。これらの曲は初期のアルバム(No2, No3)に収められている。

ストーンズで最初に気に入った曲は、スローの「Heart Of Stone」だった。ビ−トルズのバラード「Yesterday」「Michelle」が気に入らなくて、ストーンズを聴くようになったのに、スローな「Heart Of Stone」なのかというのは、やはりR&Bの黒い匂いがするからだが、ビ−トルズの「Anna」が好きなのもやはりR&Bのカバーだからである。アニマルズの「朝日のあたる家」も好きだったし、R&Bとは知らなくても中高生の頃から黒い音を好んで聴いていた。

先ほどのビ−トルズ「Yesterday」等がシングルになっている65年頃は、ストーンズは「Satisfaction」「Get Off My Cloud」がシングルで発売、ガンガンすっ飛ばして絶好調だった。「19th Nervous Breakdown」は、今でこそ聴くと全然だが当時はとても激しく、エネルギー満タンの高校生には、うってつけの曲だった。イントロが、ギターのカッティングから入るところカッコよかった。そして「Paint It Black」も大好きである。チャーリ−のドラムスが力強く、またブライアンもシタールを弾いたりして、エキゾチック感がブレンドされたサウンドは、どこまでも勢いよく転がっていくようである。

「Time Is On My Side」はアーマ・トーマスのスローなR&Bのカバー。東京ドームのライブでこの曲を聴いた時、グッときたことを思い出す。スロー・ブルース「Little Red Rooster」はハウリン・ウルフのオリジナルを70年代になってから聴いた。渋い声で貫禄の違いを感じたが、ブライアンのボトルネックがなかなかいい雰囲気を出している。そんな14曲のベスト盤、アメリカ盤は別の数曲と差し換えられている。

what's news

連載-AMERICAN PHOTOGRAPHS-48
San Francisco,
California

10月末はハロウィーンである。1975年頃のサンフランシスコのポーク・ストリートは、ゲイの集まるところだった。そこでは、ハロウィーンの夜は一大仮装パレードとなる。
この日のために目一杯着飾った人は、翌日の地元新聞エグザミナーやクロニクル紙に写真が掲載される。
一方、左写真のようなあり合わせの衣装、小道具で間に合わせた変なのもいる。その手袋は何なんンだ?

淡路島の西側の海。どんよりとしたところに。うす日がさして光が見えた。夕方は温度が下がってきて、霧がうっすらと出てきていた。