The Blues Movie Project
ロード・トゥ・メンフィス
(2003年アメリカ)
監督:リチャード・ピアース

ブルーズの映画がようやく大阪でも上映された。意表をつく宇宙から始まる「ソウル・オブ・マン」は三人の風変わりなブルーズマンを取り上げ、彼等の曲が今のミュージシャンに脈々と受け継がれているところもみせている。J.Bルノアーの未公開だったフィルムや、スキップ・ジェイムスの映像が観られてよかった。ブラインド・ウィリー・ジョンソンの生前の様子を役者が演じて再現されていた。あのクリームがかってレコーディングした「I'm So Glad」はスキップ・ジェイムスの曲というのをこの映画で知った。J.Bルノアーは60年代に世の中の出来事を歌にしている。公民権運動の激しいころは、動物の狩猟の期間は時期があるのに、俺たち黒人は年中狩猟されるというようなKKKの脅威を歌っている。ヴィム・ヴェンダース監督はそういう内容も盛り込み、まじめにつくられているがやや固い印象をうけた。

「レッド、ホワイト&ブルース」はブリティッシュ・ロックの面々がこんなにブルーズが好きなんだということをインタビューで語っている。インタビュー中心で貴重な映像もあり、私のようにブリティッシュ・ロックからブルーズを聴き始めた世代の人には懐かしく、嬉しい映画である。テン・イヤーズ・アフターのアルビン・リーなど「ウッドストック」の映画以来で30何年ぶりに会ったという感じ。当時のブリティッシュ・ロックを知らないとちょっと退屈するかもしれない。しかし、ジェフ・ベック、ヴァン・モリソン、トム・ジョーンズのパフォーマンスが観られ、また、最後のシーンに「いつも心に太陽を」60年後半にヒットさせたあのルルが歌うブルーズが素晴らしく印象的だった。監督はマイク・フィギス。

いちばん好きだったのはこの「ロード・トゥ・メンフィス」である。メンフィスはかってブルーズの聖地で、ビール・ストリートはライブハウスが並び、華やかな街だったようである。ミシシッピーの田舎からメンフィスへ行くのは私達がパリやニューヨークへ海外旅行へ行くようなものだったであろう。私が訪れた1975年のビール・ストリートはすごく寂れていたときだった。映画では再開発された通りがでてきて、変わり様を懐かしく観た。

B.B.キングは 、かってDJをやっていたラジオ局を訪れ思い出話をする。メンフィス生まれで50年代「Just a Little Bit」のヒット曲などを出し活躍していたロスコー・ゴードンも久しぶりにここを訪れ、すっかり変わったビール・ストリートを歩く。若者に「あんた誰」と聞かれたり、レコード屋では「俺のコーナーがない!ヨーロッパの店にはあるのに」とご立腹だった。アイク& ティナ・ターナーといえばお馴染のアイク・ターナーはプレスリーが最初にレコーディングしたサン・スタジオを訪れオーナーのサム・フィリップスと思い出話やロックンロールについて話をする。アイクは声がでかくて70才を越えているのに元気いっぱいだった。

思い出話ばかりではなく、現役のブルースマンのボビー・ラッシュがクルーのバスで小さなライブハウスを周りながら演奏活動をしている様子、楽屋での準備や、女性ダンサーが大きなお尻をシェイクするパフォーマンスなどブルースのエロさを見せてくれる。そして、B.B.キング、ロスコー・ゴードン、アイク・ターナー、リトル・ミルトンとボビー・ラッシュが一同に会してステージで演奏するシーンに繋がっていく。映画の始めから、嬉しさと懐かしさが入り混ざって気分で、自分の顔が綻んでいた。どの映画のイントロにもでてくるThe Blues Movie Projectのテーマのような映像に流れるマディ・ウォーターズのスライド・ギターの曲もいい。

小さなトランジスター・ラジオから流れるポップス、ロック、R&Bを夢中に聴いた中学生の頃。 そして1969年、ジャズ喫茶等に通い始めた頃からジャズ、ブルーズにも興味をもち、今日まで聴き続けてきました。 晴れのときも、雨のときもずっと一緒だった、私の大好きなミュージシャンたちのアルバムや曲を取り上げ感想を綴ります。 あなたのお好きなミュージシャンやサウンドが、私の[エンジェルズ・オブ・ミュージック]にあれば嬉しいです。 mail

連載002
マイク・ブルームフィールド+アル・クーパー+スティーブン・スティルス
[スーパー・セッション]
Mike Bloomfield, Al kooper, Steven Stills /Super Session 1968

1970年頃は街にジャズ喫茶、ロック喫茶がたくさんあった。大阪梅田のナビオ阪急の裏に「揚子江」という大阪らしい薄味のおいしいラーメン屋があるが、当時その店の前あたりに「Check」というジャズ喫茶とその2階に「Funky」というロック喫茶があり、どちらの店にも行っていた。ジャズ・ロック喫茶のコーヒーが普通の喫茶店のほぼ倍の2〜300円、封切り映画が5〜600円、レコードが1800〜2000円ぐらいで今のCD と価格は同じだが、大卒の初任給が3〜4万円だったからかなり高価だった。だからレコードは、ジャズ喫茶で流れているのを聴いたり、リクエストをしてかけてもらったりして慎重に選んで買っていた。ある日、2階の「Funky」で初めて耳にする何ともカッコいい曲が流れてきて、聴き入っていた。A 面が終わって、何のレコードだったか尋ねたらこの[スーパー・セッション]で、直ぐに買いに行った。東通り商店街のLPコーナーだったかな?

このアルバムは、ブラッド・スウェット・アンド ティアーズ(BST)のリーダーだったが、1作目のアルバムのあとグループを離脱したアル・クーパーとの二つのセッションがA 面B面に収められている。ポール・バターフィールド・ブルーズバンドのギタリスト、マイク・ブルームフィールドがA 面。1曲目の「アルバート・シャッフル」はファンキーなブルーズ・ギタリスト、アルバート・キングからきているインストのブルーズ。伸びやかなブルーズ・ギターが最高で、心地いい気分になり今でも良く聴いている。私がブルーズにめざめたアルバムで、以後ブルーズの沼にズブズブとはまり、今もドップリ浸っている。

そして、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング(CSNY)のスティーブン・スティルスがB面。この頃、長いグループ名が流行っていてCCR、GFR、ELP、BTOなども略していた。ジョン・レノン・アンド・プラスティック・オノ・バンド、ビッグ・ブラザー・アンド・ホールディング・カンパニー、シカゴ・トランシット・オーソリティやベルベット・アンダー・グラウンドなどは略さずベルベットなどとひとつの単語で呼んでいた。シカゴ・トランシット・オーソリティは2作目から短くシカゴとなった。今だったらプラオノ、ホーカン、シカトラ、ベルグラなどと言っていただろう。これらは1967年のビートルズのアルバム名「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」あたりからきているのではと思うが、ナインティーンテン・フルーツ・ガム・カンパニーというのもグループ名として聞き始めだったような気がする。

話をもどして、B面は1曲目のボブ・ディランのカバーより3曲目「You Don't Love Me(夜明けに恋はない)」が電気的に変化させた音で当時、新鮮だった。ブルームフィールドはポール・バターフィールド・ブルーズバンドからエレクトリック・フラッグを経て、アル・クーパーはBSTをスティーブン・スティルスはバッファロー・スプリングフィールドを、それぞれ居たバンドを抜けたり解散した面々で、何か新しいことをしようという熱い気持をお互いぶつけ合っての結果である。アルバム・タイトル「スーパー・セッション」という言葉は、このアルバムから流行って一時よく使われていた。

what's news

連載-AMERICAN PHOTOGRAPHS-02   
Memphis, Tennessee

ブルーズが華々しかった5〜60年代のなごりを残すメンフィスのビール・ストリート。撮影した1975年頃は本当に寂れていたが、映画「ロード・トゥ・メンフィス」では、この通りが再開発されていた見ち変わっていた。